ゲーム音楽についてのメモ

岡田暁生『音楽の聴き方』を読んでいて、ゲーム音楽は他の音楽とどのくらい違う(違わない)のだろうと少し思った。

そして私自身が音楽を聴くときの目安にしているのは何かといえば、それは最終的にただ一つ、「音楽を細切れにすることへのためらいの気持ちが働くか否か」ということである。細切れとはつまり、演奏会の途中で席を外したり、CDなら勝手に中断したりすることだ。何かしら立ち去りがたいような感覚といえばいいだろうか。
(岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書 29頁)

ゲーム音楽に関してもそういうことはある。
音楽を聞きつづけるためにコントローラやキーボードから手を離してじっとしている(あるいは効果音が入らないようにうまい具合に移動する)とか、ループしているエンディング曲をずっと聞いていたいから電源を切れないしリセットも押せないとか、サントラを聞いていてずっと同じ曲を聞いていたいのに次の曲に進んでしまって残念だとか。
でも、上の引用のすぐ後の文章

「これは最後まで聴いてあげなくてはいけないものだ」という感情がどこかに湧いてきたとすれば、それこそが「縁」というものだ。
(岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書 30頁)

とか、さらにこの少しあと引かれている作曲家三輪眞弘の発言(『洪水』第3号に載った鼎談からの引用とある)

「たとえば着メロとか、僕はそうとう耐え難いんです。なぜかというと、曲が始まって、途中で切らなければならないわけです。もし音楽が好きだという人がいたら、そんなことがどうしてできるんだろうとまずは思うわけです。つまり好きなグループの作品を着メロにしたとする。好きなグループなのにどうして途中でばっさり切れるのという、そういう感覚を僕は持っているんです。そういう意味で、多分その人にとっての着メロは僕が考えている音楽とは違うものなんだろと。たぶんなんらかの情緒を喚起するものであるだろうけど、シグナルみたいなもの、パブロフの犬みたいなものであって、僕が考えている音楽とはかけ離れているものだと思います」
(岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書 30頁からの孫引き)

を読んで、なんだかゲーム音楽は本流の音楽とは違うんですよと言われた気分になった。
でも確かに音楽がループしつづけて終わらないというのは結構大きなことなのかもしれない。かなり昔、将来のゲームのサントラには曲を適切なところでループしてくれる機能が搭載されるようになってほしいと期待していたし。
それに、ファルコムゲーム音楽を作っている石川三恵子は、『ドラゴンスレイヤー 英雄伝説』のサントラのライナーノートに次のように書いていた。

 日本を代表する音楽家、故芥川也寸志氏はその著書「音楽の基礎」の冒頭部で、私たちがふつう呼ぶところの、日常的な静寂を「かすかな音響が存在する音空間」であると定義し、この静寂と音楽の関係を以下のように述べておられる。
[中略]
 作曲家にとっても演奏終了の瞬間は重要だ。自分の作品に対する評価が下される瞬間である。作曲家はこの最後の瞬間を迎えるために曲を書きあげる、といっても言い過ぎではないだろう。なぜなら、曲という、素材としての音を組み上げて創られた音の塊は、他人によって鑑賞され評価されたときにはじめて、音楽作品となり得るからである。こういった意味において「静寂は、音の基礎である。」と芥川氏は言っておられるのだが、さて、このこととGMらしさと、何の関係があるのだろうか。
 ある音楽作品の価値がその演奏終了の瞬間、あるいは終了後の静寂の中にあるとすると、GMは永遠に価値判断されることの無い音楽ということになる。それは GMが、特別な場合(オープニング、エンディング等の特殊なイベント用のBGM)を除いて、永遠に繰り返される、完結することが許されない宿命を負った音楽だからだ。
 しかもGMは、作曲者の意図とは無関係に、曲のどの部分であっても必要とあらば即座に演奏を中断し、別の曲へと連結されて行く。GMの運命は、ゲームシステムとゲームユーザーのテクニックに、決定される。何十分も何時間も繰り返し鳴り続けなければならなかったり、イントロ部も終わらないうちに葬り去られたり。
 そこには演奏終了後の静寂は存在しない。もちろん、作曲家の思惑など介入する余地は無い。とすれば、鑑賞者はいつ、どこで、GMの価値を判断するのか。作曲者は何を目指して作品を創りあげるのだろう。GMの音楽作品としての価値は、GMGMとして在る意味は、一体、どこに見いだされるのだろうか。
(石川三恵子「GMについて考える」(『パーフェクト・コレクション ドラゴンスレイヤー』))

引用してたら、なんだかイースの音楽比較動画のことが思い浮かんだ。特にイース3(『ワンダラーズ・フロム・イース』)の同じ曲を色々な機種のものを並べて聞き比べるというもの。ちょうどうまい具合に、イース3は石川三恵子が音楽を担当していたゲームだし。
ゲーム音楽らしさということでは、ループするかどうかよりもファミコンMSX・PC-88(PC-98)あたりでの音色だったり主旋律以外のパートの感じにゲーム音楽っぽさを感じる(PCMのドラムにはあまり思い入れがない)。
でもフェイドアウトではなくきちんと曲が終了するPCエンジン版を聞くと、ゲーム音楽としてはこれらの曲に終了部分は蛇足だっていう気がしてくる。
イース バレスタイン城メドレー(修正版)
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イース 厳格なる闘志メドレー
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イース 灼熱の死闘メドレー
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イース イルバーンズの遺跡メドレー(修正版) - ニコニコ動画
など。

蛇尾となるか蛇足となるか、それが問題だ。
(円城塔The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire」)

蛇足

『音楽の聴き方』の中で何度か言及され引用もされている『ストラヴィンスキー自伝』がどこかで聞いたことのある題名だなと思っていたら、別宮貞徳の本で扱われている本だった。