ふと、法月綸太郎の『密閉教室』の中で主人公が割と唐突に引用する英文がどういう意味なのか未だにわからないままだったことを思い出した。
「111 卑しい街を」の最後のところ。
例の文句を思い出して、引き下がるつもりなどないことを証明してみろ。
「バット・ダウン・ジーズ・ミーン・ストリーツ・ア・マン・マスト・ゴゥ」
「フー・イズ・ノット・ヒムセルフ・ミーン、ニーザ・ターニッシュト・ノア・アフレイド」
僕の声でない誰かの声がそう続けた。
(法月綸太郎『密閉教室』講談社文庫 p.242)
カタカナで書いてあることもあってか、どういう意味なのかよくわからない。すぐ次の節「112 『頻出英語構文総チェック』」で
「君を見直した」と僕は言った。「君がチャンドラーを読んでるなんて思いもしなかった」
(法月綸太郎『密閉教室』講談社文庫 p.243)
とあるのでチャンドラーからの引用だろうということだけはわかる。
調べてみると「The Simple Art of Murder」という評論からだと判明。ついでに111節のタイトル「卑しい街を」も、この引用文が元だってことに気づく。
Raymond Chandler - Wikiquote
Down these mean streets a man must go who is not himself mean, who is neither tarnished nor afraid.
(Raymond Chandler「The Simple Art of Murder」)
『密閉教室』での引用と微妙に違ってる。訳すと「しかし、これらの卑しい街を男は行かなければならない、男自身は卑しくないし、けがれても恐れてもいない」?
さらに法月の評論「複雑な殺人芸術」のタイトルも、「The Simple Art of Murder」の邦題(のひとつ)「単純な殺人芸術」から来ているとのこと(法月綸太郎「「ホーム」と「アウェー」」)。
あと関係ないけど、『雪密室』の文庫版あとがきの出だし
文庫にするにあたってこの本を、読み返すというより、ぼんやりながめていた時、私は思いがけない二つの発見をして驚いた。
(法月綸太郎『雪密室』講談社文庫 p.270)
は、柄谷行人の「変更について」という文章の出だし
文庫にするにあたってこの本を、読み返すというよりもぼんやりと眺めていたとき、私は、ここで少なくとも二ヶ所において、書いたものの「変更」に触れていることに気づいた。
(柄谷行人『意味という病』講談社文芸文庫p.316)
をわざとなぞっている。
また「六人の女王の問題」で子規の「俳句の前途」が引用されているのは、小説の話の流れで必要だからというのとは別に、柄谷の『日本近代文学の起源』で引用されていたという影響もあるのだろう。
子規が新聞「日本」に連載した『獺祭書屋俳話』の中に、次のような一節がある。
数学を脩めたる今時の学者は云ふ。日本の和歌俳句の如きは一首の字音僅に二三十に過ぎざれば之を
錯列法 に由って算するも其数に限りあるを知るべきなり。語を換へて之をいはゞ和歌(重に短歌をいふ)俳句は早晩其限りに達して、最早此上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべしと。(「俳句の前途」)(法月綸太郎『犯罪ホロスコープI 六人の女王の問題』カッパ・ノベルズ p.60)
このことは、正岡子規の『獺祭書屋俳話』(明治二十五年)の、「俳句の前途」というエッセイにおいてさらに顕著である。
数学を脩めたる今時の学者は云ふ。[上の引用と重複するので以下略]
(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫 p.71)
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