対数と弧度法の歴史について少し調べる

よく判らないものがさも当たり前のもののように導入され。
高校の数学で三角法や対数が出てくる辺りから、いったい何をやろうとしているのかサッパリ分からないことが多かった覚えがある。数学は得意だと思っていたから、意味の分からないものが当たり前のように平気で教えられていることに恐ろしいような不安なような気分になった。分からないことがあまりに気持ち悪いので、いろいろ考えて何とか納得してはいたけど、実際のところ理解して納得したわけではなくて、何となく慣れていっただけだった気がする。今思えば、その辺りで数学が全く分からなくなった人もきっといたのだろう。
三角法や微積分あたりは今では逆にどこに納得できなかったのかも何で分からなかったのかもよく分からなくなってしまっているけど、弧度法や対数などについてはいきなりそんなことを言われても分からないよなと今でも感じる。自然に出てくる考え方という感じがあまりしない。

などといったことがたぶん理由で、歴史的な経緯を少し調べた。

対数

対数がはじめて世に出たのはネイピアのMirifici Logarithmorum Canonis Descriptio (『対数の驚異の法則の記述』)で1614年。さっぱり時代のイメージがわかない(たとえばモンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』の初演が1607年、エーコ『前日島』の舞台が1643年。『ミネルヴァと智慧の樹』が部分的に1631年)。

まず、当時はまだ小数がなかったらしい。

帳簿の金額に小数部分の項を加えたり、12°34′56″(12度34分56秒)のようにして1度より小さい要素を表現するといったことはあっても、一貫した形での小数表現ではなかった。三角法の表などは、円の半径を1ではなく例えば107としてそれに対する弦の長さを表示していた(半径を107に取った場合、表を7桁の精度で書ける)。
もうひとつ。指数関数もなかった。
通常、対数は指数関数の逆関数として説明される。
つまりy=a^xという関係があるとき、x = \log_a yとなる。
あるいは指数関数a^x

\exp_{a}x
と書くことにすれば、
y = \exp_{a}x \\ \quad \Updownarrow \\ x = \log_{a} y
という関係によって対数\log_aは説明される。
しかしネイピアの時代では、自然数の巾つまり2乗3乗4乗等は考えても、それを自然数以外に拡張するという考えには至っていなかった。せいぜい巾乗根(平方根、立方根、4乗根…)と1/2乗、1/3乗、1/4乗…との対応関係に気づく人がいたくらい。

ネイピアが、指数を用いる以前に、対数を構成したことは、じつに科学史上の一大驚異である。(カジョリ『初等数学史』)

この状況で対数を考えないといけない。おそらくは、三角法などの数表に出てくる桁数の多い数の掛け算(やそれに類する計算)を容易にするというのが動機。
例えば32×64を直接計算するのはたいへんだけど、2のべき乗の表と指数法則2^{m}\cdot 2^{n}=2^{m+n}を使うと

n 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
2n 2 4 8 16 32 64 128 256 512 1024 2048
計算手順
1 (表を見て) 32→5 ( 32 = 25 )
2 (表を見て) 64→6 ( 64 = 26 )
3 5+6=11 ( 25×26=25+6=211 )
4 (表を見て) 11→2048 ( 211=2048 )

したがって、32×64=2048
というように、掛け算をしないで答えが求まる。
でもこの表では下段の値が飛び飛びになっているので、下段に出てこない数についての掛け算には使えない。
ではどうすればいいかというと、巾乗の底を2よりももっと小さく取る。例えば1.5を底に選ぶと表は次のようになり、下段の数の飛び方が底2のときよりも小さくなる。

n 1 2 3 4 5 6 7 8
1.5n 1.50 2.25 3.37 5.06 7.59 11.39 17.09 25.63

底を1に近く取れば取るほど、下段の値の飛びは小さくなる。
ただしネイピアの時点では小数表現がないので、大きな定数をかけて補正する。
ネイピアは
x=10^{7}\left(1-\frac{1}{10^{7}}\right)^y
とした。1未満の数の巾乗に107をかけているので、xは7桁以下の値になる。また底が(1-10-7)なので、表を作ったときにxの7桁目の値が飛び飛びにならない。

y x
1 9999999
2 9999998
3 9999997
…… ……
1000000 9048374
1000001 9048373
…… ……

 \frac{x}{10^7}=\left(\left(1-\frac{1}{10^{7}} \right)^{10^7}\right)^{\frac{y}{10^7}} \approx e^{\frac{-y}{10^7}}なので、小数点の位置と正負を変えると自然対数の表とだいたい一致する。

y x u log u
1 9999999 0.9999999 -1.000000e-7
2 9999998 0.9999998 -2.000000e-7
3 9999997 0.9999997 -3.000000e-7
…… …… …… ……
1000000 9048374 0.9048374 -0.1000000
1000001 9048373 0.9048373 -0.1000001
…… …… …… ……

死後出版されたMirifici Logarithmorum Canonis Constructio (『対数の驚異の法則の構成』)(1619年)では、現在のものに近い形での小数点表記がはじめて登場し、さらにx=1のときの対数を0にするという改良案も出される。また対数の底を10にする案も持っていたらしい。

ネイピアは対数の表を作る過程で、おそらく地道に巾乗を計算するだけでなく対数の性質を使った効率化や補間も使っている。そうするとその過程でyの値が自然数以外になる場合も現れてくる。
という辺りを起点にして、連続値を持つ対数関数とその逆関数としての指数関数が生まれたんじゃないかととりあえず思っておく。
(追記: ネイピアと対数について詳しく扱った本: 志賀浩二『数の大航海 対数の誕生と広がり』)

弧度法

弧度法が使われるようになった経緯はよく分からなかった。Wikipedia「radian」によると、起源は1714年ロジャー・コーツとしている。
オイラー『無限解析入門』(1748年)では次のように書かれている。

126. 対数と指数量に続いて、円弧および円弧の正弦と余弦を考察しなければならない。
[中略]そこで円の半径すなわち全正弦を1と等値しよう。
[中略]そうするとπは半径1の円の半周に等しいことになる。言い換えると、πは180度の弧の弧長である。
127. 円の任意の弧をzで表そう。ただし、円の半径はつねに1に等しいという前提が設定されているものとする。普通、主としてこの弧zの正弦と余弦を考察するのが習わしになっている。

これを見ると、オイラーは「角度」と半径1の円の「弧」を別のものとして扱い、その上で正弦関数や余弦関数を(角度ではなく)弧を引数にとる関数としているように見える。
コーシーの『解析教程 』(1821年)では

三角法において
sin a, cos a, tang a, ……
は、それぞれ弧aの正弦、余弦正接……を表す。

とあって説明には弧しか出てこない。角度を不要なものとして排除しているのかもしれないし、逆に弧と角度の同一視を当たり前のものと思っているのかもしれない。これだけでは判断できない。

そもそも「角度」がどういう量なのか分からなくなってくる。

しかし、バビロニア人は紀元前300年よりも前のある時点で、円周を「度」と呼ばれる360個の部分に分割する角の単位を導入した。(カッツ『数学の歴史』p.162)

この記述を読むと、角度というのは(全体を360としたときの)割合という感じがする。
角度と角が切り取る弧の長さが比例することはおそらく早い時点で気づかれていたと思うけれど、それだけでは弧長でもって角度を定義するという発想には行かない。日常生活上の便利さもあまり感じられないし。

弧長と角度を同一視しようと思うには、たぶんその前段階として、「半径と弧の長さの比」(あるいは同じことだけど「半径1の円の弧の長さ」)を使うことが数学上有用であることに気付く必要がある。

1670年12月19日付の書簡で、グレゴリーはこう書いている。「正弦がBである弧は(円の半径はR)
 B + \frac{B^3}{6R^2} + \frac{3B^5}{40R^4} + \frac{5B^7}{112R^6} + \frac{35B^9}{1152R^8} + \cdots
と表現できる」。現代的な述語では、グレゴリーの級数\frac{1}{R}\arcsin\frac{B}{R}級数展開である。(カッツ『数学の歴史』p.557)

この級数に現れる\frac{B}{R}は、半径と弧の長さの比、つまり「弧度」になっている。
三角関数やその逆関数に関係するこうした級数には、(日常生活上の便利さから生まれた)「度」で測った「角度」ではなく、「半径と弧の長さの比」が現れる。そしてこうした級数が頻繁に登場するようになると、「半径と弧の長さの比」について簡便に語るための言葉が欲しくなるかもしれない。
たぶんその辺りが1714年のロジャー・コーツに繋がっていくのだと思うのだけど、そこまで調べていない。

三角関数逆関数を表すarc何とかという名前がいつ生まれたかは判らないけど、それらの名前ができた時点では角度=弧長という意識は無いか薄かったのだと思う。いまの感覚からすると、arctanは「tanの値からその角度を出す関数」となる。でも名前の付け方からすると「tanの値から弧(arc)の長さが出てくるのがarctan」となる。
弧長と角度は別ものという意識がないと、arc何とかとは付けない気がする。例えば、すでに弧度法を当然のものだと思っている人に三角関数逆関数に何か名前を付けてもらったとしても、arcとか弧に類する単語を使おうという発想は出ないと思う。