小田勝『読解のための古典文法教室』

タイトルの惹句に「大学生・古典愛好家へ贈る」とあるように、同著者の『実例詳解古典文法総覧』をベースに分量を絞って学習参考書的な内容にしたという趣きの本。『実例詳解古典文法総覧』が700ページを超えるのに対して、本書は250ページほど。
『実例詳解古典文法総覧』では引用している実例に対して訳が基本的に付いてなかったのに対して、本書では例題で引かれた文についてはほぼ全てに訳が付いている。(ただし例題以外でも多くの実例が挙げられているけど、それに対してはほとんどの文に訳は無い)。
大量の実例があげてあり、興味を誘うようなものも多く含まれているのも『実例詳解古典文法総覧』と同様。特に次の問題が面白いと思った。

次の和歌に句読点を打ちなさい。
① 川水に鹿のしがらみかけてけり浮きて流れぬ秋萩の花 (匡房集)
② 岸近み鹿のしがらみかくればや浮きて流れぬ秋萩の花 (匡房集)
(『読解のための古典文法教室』p.186)

(答は、①は3句の「けり」の後に丸、②は4句の「流れぬ」の後に丸。下の和歌は係助詞「や」のために連体形「ぬ」で終止する。)

ただ内容構成的には、高校のときに古文が苦手で古典文法の知識はほとんどないけれど興味が無いわけではないし可能なら好きになりたい、というような大学生・古典愛好家志望者への最初の一冊目には向かないという印象。

  • 索引が全くない。
  • 各例題に対して、解説は付いているが、現代語訳を求める問題以外には解答はだいたい付いていない。特に文法知識を確認するような単純な問題に対する解答がないのは不親切。
  • 現代語訳が別冊になっていて、確認・閲覧がしにくい。
  • 内容配列が『実例詳解古典文法総覧』と同じく文法書的な配列になっていて、本文で説明が現れるより前の部分でも、その知識をある程度持っていることが前提になっている。(例えば係り結びは全30講中の第23講で扱われるけど、第23講以前の部分でも係り結びについての基本的な知識は持っていることを前提として説明がなされている)。

中学高校辺りで古文が苦手だった場合、正確性は劣るとしても手軽にまとまった受験参考書的なもので基礎知識を復習しつつ読んだ方が良いかもしれない。


あと敬語の説明で分かりにくいと感じた部分について。

敬語の分類の仕方と受身使役の敬語の説明

補助動詞の場合

高校の古文の説明(学校文法)で通常「尊敬語」「謙譲語」と呼ばれるものを、本書では「主語尊敬語」「補語尊敬語」と呼んでいる。その理由の説明は分かりやすい。要約すると、

  • A、Bを助け給ふ。
  • A、Bに助けられ給ふ。 (受身)
  • A、Bに助けさせ給ふ。 (使役)
  • A、Bを助け奉る。
  • A、Bに助けられ奉る。 (受身)
  • A、Bに助けさせ奉る。 (使役)

という文を考えた時、「給う」が使われている文では一貫してA(主語)が敬意の対象になり、「奉る」が使われている文では一貫してB(補語)が敬意の対象になっている。
「シテ尊敬」(動作の主、為手に対する尊敬)、「ウケテ尊敬」(動作の対象、受け手に対する尊敬)という言い方だと受身文や使役文での敬語が説明しにくいので、「主語尊敬語」「補語尊敬語」の方が良いと、こう説明される。
ここまでは分かりやすい。

補助動詞でない場合

これに対して、[257]「敬語動詞の受身形・使役形」の部分が分かりにくい。
[257]では、次のタイプの敬語が扱われている。(「御覧ず」は、学校文法でいう尊敬語、本書でいう主語尊敬語)

  • A、Bを御覧ず。
  • A、Bに御覧ぜらる。 (受身)
  • A、Bに御覧ぜさす。 (使役)

これらの文のそれぞれで敬意の対象は誰か。
これは「主語尊敬語」という言葉に引っ張られると「どの文についても、主語であるAが敬意の対象では?」と誤解してしまう可能性があると思うのだけど、[257]の解説では、受身文に関しては、

  • [母ハ][源氏ニ]御覧ぜられ給ふ

という文(実際はもっと長く引用してある)に対して、

「御覧ぜらる」は「「源氏が御覧になる」ことを(母が)ありがたく恩恵として受ける」→「(母が源氏に)御覧になっていただく」の意(「御覧ず」は源氏に対する敬意、その下の「給ふ」は母に対する敬意)。

という説明がされているだけ。使役の尊敬についても同様に例文に対する短い説明のみ。「主語尊敬」「補語尊敬」の説明に比べて説明があまりにも少ないので、この部分は、もうちょっと説明があったほうが良いと思う。
ここは「主語尊敬」「補語尊敬」という言い方にこだわらず、

  • 「御覧ず」の敬意対象は、受身使役に関係なく、見ている「動作主」。

と言ってしまうのが簡潔な気がする。
あるいは、「主語への尊敬」「補語への尊敬」という見方にこだわるなら、例えば次のように説明できる。

  • A、Bに御覧ぜらる。 (受身)
  • A、Bに助けられ給ふ。(受身)

は、どちらも受身+主語尊敬語の文だけど、受身の助動詞のスコープが異なるために敬意の対象が異なってくる。

  • 「御覧ぜらる」では、「御覧ず」に受身の助動詞「らる」がかかっている。したがって、「御覧ず」の主語(見る動作を行っている人)に敬意が与えられた後に、それが受身の「らる」によって、敬意対象である人が主語から補語の位置に移動する。よって敬意の対象は、見ている人。
  • 一方「助けられ給ふ」では、受身の「らる」に「給ふ」がかかっている。よって「助く」の補語(助けた対象)が受身の「らる」によって主語に移り、その後に「給ふ」が主語=助けた対象に対して敬意を与える。よって敬意の対象は、助けた対象(=助けられた人)となる。