場の量子論への入門の一歩前

目次:「1.場の量子論 = 粒子数の変化を扱える量子論」「2.生成・消滅演算子」「3.古典論への移行と量子化」「4.量子力学から場の量子論への移行」「5.量子力学から場の量子論への移行(古典場を経由しない仕方)」「6.終わり」

1. 場の量子論 = 粒子数の変化を扱える量子論

てっとり早く場の量子論を特徴づけると、

  • 場の量子論 … 粒子数が固定されておらず、粒子の数の変化を扱える(粒子の生成・消滅を扱える)量子論

のように説明できる。
それと対比させると「量子力学」は粒子数が固定されていて変化しない量子論ということなる。

(「量子力学」といったときに場の量子論も含める場合も多いけど、この文章では、場の量子論と対比させた意味で「量子力学」という言葉を使うことにする。)


ここで「粒子」と言っても、それは量子論的な「粒子」なので、粒子的な性質と波動的な性質の両方を合わせ持っており、日常で観察される何かの粒のように理解することはできない。それでも、

  • 「生成」「消滅」ごとにエネルギーや運動量が離散的に増減し、「個数」(個数演算子)も定義できる。

という点で、粒子(何かのかたまり)のような性質を持っている。

また場の量子論では、日常的な感覚では粒子っぽくないものも粒子として扱うことができる。
例えば結晶格子の振動(音の波)を量子論を考慮して扱うと、離散的なエネルギー励起が現れる。このときのエネルギーの離散的な増減を、場の量子論では「粒子(フォノン)の生成・消滅」として扱える。

また粒子の性質だけでなく波動の性質も持っているので、「粒子の生成・消滅」を波動の視点から見ると「波の強さや周波数成分を離散的に変化させている」と表現することができる。

2. 生成・消滅演算子

粒子の生成・消滅を扱うために、運動量{\bf p}の粒子を生成する演算子\hat{a}^{\dagger}({\bf p})、消滅させる演算子\hat{a}({\bf p})や、それらをフーリエ変換した\hat{a}^{\dagger}({\bf x}),\hat{a}({\bf x})といった演算子が導入される。

こうした演算子の持つ性質が粒子の性質を規定するので、これらの演算子の性質を特定することが場の量子論の第一歩になる。(生成・消滅演算子調和振動子の上昇・下降演算子と同じような性質を持っているので、場の量子論への導入として調和振動子の話から入ったりする。)

粒子の生成・消滅を扱うために導入された演算子は、空間の各点{\bf x}(またはフーリエ変換した運動量空間の各点{\bf p})ごとに定義されているので場の演算子と呼ばれる。

3. 古典論への移行と量子化

場の演算子\hat{a}^{\dagger}({\bf x}),\hat{a}({\bf x})の適用によって状態が離散的に変化するけれど、この離散的変化があたかも連続的に見えるような近似(古典的極限)を考えると、粒子性と波動性のうち粒子的な性質が見えなくなり、量子論的ではなく古典的に扱える場の量 a(x) に移行する。*1
ただしこうして現れた場は、「古典的」とはいっても、その場を古典力学的・電磁気学的な現象として観察できるとは限らない。単に演算子などが登場せず古典力学的に取り扱えるという意味で「古典的」と言っているにすぎない。

逆に古典的な場から出発し、何らかの手続きによって場の量子論に移行する操作を「場の量子化」という。

また、古典場ではなく質点の力学から出発してそれを「量子化」すると量子力学に移行する。
これらをまとめると次の表のような関係になっている。

有限自由度無限自由度
古典論質点古典場
古典極限↑ ↓量子化古典極限↑ ↓量子化
量子論量子力学
(粒子数固定)

粒子数固定
場の量子論
(粒子数可変)

  • 場の量子論で、粒子の数が固定している場合(「個数」が保存量の場合)だけに状況を限定すると量子力学で扱える。
  • 場の量子論で、粒子の生成・消滅による離散的変化が見えないくらい粒子数が多いと古典場として扱える(電磁場とか)。

このような話の脈絡だと「古典場を量子化して場の量子論を得る例」として、まずは電磁場が思い浮かぶ。
実際、歴史的にも光の輻射を量子論的に取り扱うための試行錯誤から場の量子論が生まれている。

ただし

  • マクスウェルの方程式自体が複雑なので、古典論の時点ですでに数式が面倒。
  • 量子化するときゲージ自由度のことを考える必要がある。

というように、場の量子論一般に比べて扱いが面倒なので、場の量子論の本ではいきなり電磁場を扱うのではなく他の場を扱ったあとに回されることも多いみたい。*2

4. 量子力学から場の量子論への移行

量子力学が「粒子数固定の量子論」で、場の量子論が「粒子数の変化を扱える量子論」だった。
ということは場の量子論の方が扱う範囲が広いのだから、量子力学で扱っている問題を場の量子論の問題として扱うこともできるだろう。

量子力学と場の量子論には次のような関係があった。

有限自由度無限自由度
古典論質点古典場
古典極限↑ ↓量子化古典極限↑ ↓量子化
量子論量子力学
(粒子数固定)

粒子数固定
場の量子論
(粒子数可変)
そこで、次のようにすれば量子力学から場の量子論へ移行できる。

  1. 何かちょうどいい古典場を取る。
  2. その古典場を量子化する。
  3. 量子化して得た場の量子論の式が、もとの量子力学系と同じ結果を与えるようになっていればよい。

しかし、そのような「ちょうどいい古典場」は非常に混乱を生む性質を持っている。
それは、

  • 粒子同士が相互作用しない場合、「ちょうどいい古典場」は、1粒子系の波動関数が満たす方程式と同じ方程式を満たす。(また場の演算子も同じ方程式を満たす。)

という性質。

波動関数量子論的な概念で、その一方、古典場のほうは古典論的な概念(たとえその場が古典力学電磁気学には登場しないような場だとしても)なので、そのどちらも同一の方程式を満たしてしまうというのは、両者の違いを曖昧にして混乱を生むことになる。
例えば、

  1. 質点の力学を出発点にして、それを量子化して波動関数の満たす方程式(シュレディンガー方程式とかクライン・ゴルドン方程式とか)を得る。
  2. その方程式を満たしている古典場(これは波動関数とは別のもの)を考えて、その古典場を量子化して場の演算子を得る。

という手順で場の量子論に到達した場合、二回の量子化が関わっている。

ここで同一の方程式に従うふたつのもの(波動関数と古典場)があることを曖昧にすると、量子化して得たもの(波動関数)をもう一度量子化しているように誤解してしまう。*3

高橋康『古典場から量子場への道』だと3章でシュレディンガー方程式やクライン・ゴルドン方程式を導入し4章で場の量子化を扱っているけれど、読んでいて古典論の対象を扱っているのか量子論の対象を扱っているのか分からなくなって混乱した。

朝永振一郎量子力学II』では、見かけは同一の方程式でも、波動関数が満たす式をSchrödinger方程式、古典場が満たす式をde Broglie方程式と呼んで区別している。

Schrödinger方程式とde Broglie方程式とが同じ形をとることから、量子力学の発見されたはじめのころは、この二つの方程式がまったく異なる概念に属するものであることが物理学者によくわからなかった。そこでこの差異に関する無知に基づいた混乱や無用の論争がしばしば起こったのであった。
(朝永振一郎量子力学II』§50)

ディラックは彼の発見的方法に導かれて、Ψ(x)の満たすべき場の方程式がψ(x)の満たす方程式と同じ形をしていることを発見したのです。しかし方程式の形は同じでも、ψは1個の粒子の格率振幅で…Ψは波動場を記述する…というように、概念的にはまったく別ものであることを忘れてはいけません。
(朝永振一郎『スピンはめぐる』第6話)

また朝永『量子力学II』では、

  1. 「幾何光学と光の波動論」との類推から、電子の波動論としてde Broglie方程式を導く。(第6章)
    • 量子現象を扱うとき「de Broglie方程式 + 量子化」を使っている。(6章§47)
  2. マトリックス力学とde Broglie方程式との対応関係から、Schrödinger方程式を得る。(7章§49)

という説明をしている。つまり「古典場」から「量子力学」という説明の流れ。

5. 量子力学から場の量子論への移行(古典場を経由しない仕方)

前節では「波動関数と同一の方程式を満たす古典場を考えて、その量子化によって場の量子論にいたる」という流れで、量子力学から場の量子論への移行を説明した。
これとは別に、古典場は経由せずに、多粒子系の波動関数を生成演算子を用いた形に変形する、という説明の仕方もある。*4

同種粒子n個からなる系を量子力学で扱う場合、次のようにおこなわれる。

  1. 量子論では同種粒子は区別できないけれど、いったん区別できるかのように扱ってn個の粒子の座標をそれぞれx1、…、xnとして*5、n変数波動関数 φ(x1、…、xn) を考える。
  2. その上で、n個の変数を入れ換えても同じ状態を表すような波動関数だけを選別して用いる。ボース粒子なら対称関数、フェルミ粒子なら反対称関数を取る。

場の量子論への移行は、このような対称関数や反対称関数で表されている系を生成演算子を用いた形に変形することでおこなう。

  1. n粒子状態は、真空状態に生成演算子をn個適用したものとして表現される。
    • 扱っている粒子がボース粒子なのかフェルミ粒子なのかというのは、生成演算子の持つ代数的性質によって表される。
  2. 生成演算子の適用を「状態1の粒子を生成する演算子の適用がN1回、状態2の粒子を生成する演算子の適用がN2回、…」のように表現すれば、各状態1,2,…のそれぞれにいくつの粒子が入っているかの占有数N1、N2、N3、…によって系の状態を表していると見ることもできる。(占有数表示)

6. 終わり

ここまで来るとあとは数式を用いた話に入っていくことになるけれど、それは「入門の一歩前」ではなく「入門」の話になるだろう。

*1:「古典的極限」が正確にどういうことなのかよく理解できていないけれど、粒子の「数が非常に多く占有数を連続変数のように見なせる場合が古典的な極限にあたる」(サクライ『上級量子力学 上』2.3節。3.10節も参照)と考えておく。cf. 首藤啓『古典と量子の間』(岩波講座物理の世界)。

*2:一方、量子力学の本で、本の終わり辺りで電磁場の量子化を扱っていることもある。物理入門コースの中嶋貞雄『量子力学II』がマクスウェル方程式に踏み込まず電磁波の式をあらかじめ与えた上で量子化を論じているので比較的読みやすい? 他に本の目次をながめてみると小出昭一郎『量子力学II』、猪木慶治・川合光『量子力学II』、砂川重信『量子力学』など。

*3:ただし歴史的に見ると当初は「一度量子化したものをもう一度量子化する」という道筋で場の量子化が導入されたみたい。「ここでディラックは、彼独特のアクロバットをやりました。…そもそもシュレーディンガー方程式はすでに量子化の結果あらわれたものです。…それを、第2量子化の名が示すように、もう一度量子化するということにいったいどんな意味があるのだろうか。凡人たちはここで戸惑いを感ぜざるを得ない。」(朝永振一郎『スピンはめぐる』第6話)、「最初これは「第2量子化」と見なされた。つまり、量子化される場は、電子のディラック波動関数のような、1粒子の量子力学で使われる波動関数だった。」ワインバーグ『場の量子論 1巻』1.2場の量子論の誕生)

*4:このアプローチが書かれている文献としては、一冊全体で80ページの新井朝雄『多体系と量子場』(岩波講座物理の世界) が分量的には最も手軽か? 他に北孝文『別冊数理科学 統計力学から理解する超伝導理論』2章、高橋康『物性研究者のための場の量子論1』2章、小出昭一郎『量子力学II』11章、猪木慶治・川合光『量子力学II』11.3節、砂川重信『量子力学』6章§6など。

*5:各粒子が区別されアイデンティティを持ち消滅もしないため量子力学では座標演算子が考えられる。場の量子論では座標演算子は登場しない。場の量子論の観点からは、位置演算子の性質(交換関係)はどのように生じるのだろう?