高木貞治と数学基礎論

田中一之「ゲーデル・4つの謎」という文章に次のようにある。

高木貞治の『近世数学史談』(1933年出版)と『数学雑談』(1935年出版)の合本は、いまでも結構読まれているらしいが、数学基礎論の立場からは要注意の本である。
前書には「ヒルベルト訪問記」という1932年10月に高木がヒルベルトを訪問した記録が収録され、後書は逆理を扱ったり、ペアノ・デデキントの公理系など数学基礎論の入り口らしき話がある。でも、この入り口はダミーで、基礎論の研究には続いていかない。
[中略]
1933年頃に書かれた高木の本に、1910年以降の基礎論の発展について何も書かれていない。[中略]書いてあることといえば、70歳のヒルベルトが耄碌しながら証明論という訳の分からないことに取り憑かれているといった馬鹿話である。
(『数学のたのしみ <2006秋>』日本評論社 24-25頁)

高木貞治の専門は代数的整数論で、もちろん数学基礎論の専門家ではない。その高木の本、しかも基礎論の最先端を紹介する目的で書かれたわけでもない本にここ20年の基礎論の発展のことが書かれていない、と非難するのは無茶だと思う。次も同じような難癖だと思える。

高木貞治ヒルベルトを訪問する前にウィーンを訪れていたのである。当然彼はゲーデルの結果について話を聞いたであろうし、ゲーデル本人とも会っているかもしれない。そうなると、その話をヒルベルトのところで話題にしないのもおかしいし、なぜ「ヒルベルト訪問記」のような茶化した話になるのか理解に苦しむところである。
[中略]
『近世数学史談・数学雑談』は基礎論の本として読んではダメである。
(『数学のたのしみ<2006秋>』日本評論社 25頁)

一方「馬鹿話」「茶化した話」と言われている「ヒルベルト訪問記」は次のように書かれている。

数学基礎論は完成してもよい、又は完成しなくてもよい、只H先生は余生を安楽に送られることを望む」という意味を、何処かへ書き入れようと思いながら、それを忘れてしまいました。僕は今それを思い出したのです。毎日三十匁の生肝を食って不治の難病と戦いつつも、駿馬も老いては揚足を若い助手たちに時々は取られながらも、どうしても排中律の証明等等を書かずには居られないのでしょう。余生を楽しむなどは論外で、生きながらの餓鬼道ではありませんか。これも不治なる知識追求症です。
(高木貞治『近世数学史談』岩波文庫 217頁)

(追記:オンラインでも読める→高木貞治 ヒルベルト訪問記 1932年10月8日,ゲッチンゲンに於て)
この文章は、ヒルベルトが訳の分からないことをやっているとバカにしたり茶化すようなものとは読めない。ここにあるのは、数学の様々な分野ですでに多大な業績をあげしかもすでに70歳になるというのに、未だに最前線に立って数学を続ける(続けざるをえない)師への畏怖だと思う。
それから高木は基礎論に対して別に無理解でも無知でもなかったみたい。もちろん専門家と同等に理解していたかどうかは別だけど。『数学雑談』には基礎論の初歩的な話が出てくるのだし、森毅『位相のこころ』の文庫版あとがきにも次のような話が書かれている(なお高木が定年退官したのは1936年)。

高木さんは集合論に興味があったようで、ツェルメロ選択公理の話を教わったと遠山さんに聞いた。ツェルメロは同じような論文を2つ書いていて、講義中に高木さんは「なぜかわかるか」、それからニヤリと笑って「論文の数を増やしたかったのだよ」。ぼくが大学に入ったころは高木さんは定年だったが、談話会でラッセルの逆説の話を聞いた。
(森毅『位相のこころ』ちくま文庫 326頁)

数学のたのしみ〈2006秋〉フォーラム 現代数学のひろがり ゲーデルと現代ロジック 近世数学史談 (岩波文庫) 位相のこころ (ちくま学芸文庫)