中根美知代『ε-δ論法とその形成』

ε-δ論法の成立をめぐる歴史を考察した本。ε-δ論法の歴史についてしばしば語られる見解は首尾一貫していないように見えるけれど実際のところはどうだったのかというのが、この本の出発点のひとつ。
例えば、次のどちらの主張もおそらくよく聞く話だと思う。

"コーシーは、ε-δ論法を使って厳密な微積分を展開した、直観では捉えれないような精緻な概念を適切に処理した"とする主張を、「コーシー伝説」と呼ぶことにしよう。
(p.18)

ワイエルシュトラスがやったかどうかはおいておき、一様収束ないしは一様連続性の認識がε-δ論法の採用に本質的であったとする見解を「一様性伝説」と呼ぶことにしよう。
(p.19)

結局ε-δを導入したのはコーシーなのかそうではないのか。コーシーやワイエルシュトラスは実際には何をしたのか。これらについての歴史的な流れを地味だけど丁寧に記述している。

ε-δ論法の意義

読んでみて、ε-δ論法を巡る歴史に混乱が生じた原因のひとつに、ε-δについてよく言われる次の説明があるんじゃないかと思った。

  • ε-δ論法の意義は、「限りなく」とか「だんだん」といった動的で曖昧な説明を、静的で厳密な定義におきかえたことにある。

この説明は別に間違いというわけではないけど、『ε-δ論法とその形成』に記述された歴史と比較すると、あくまで単純化された見解であることも判る。

そして、ほどなく、

引き続く同一の変数に属する値が、ある固定された値に限りなく近づくとき、最終的には、その差が望むだけ小さくなるとき、この固定した値を他のすべての極限と呼ぶ[Cauchy 1821, p.19]。

という記述に出会う。これがコーシーの極限の定義である。
(p. 28)

さて、この極限の定義をもとにして、コーシーは無限小の定義を与える。

変化する量が順にとる値が、限りなく減少し、与えられたどのような量よりも小さくなるとき、この変化する量は無限小あるいは無限小量と呼ばれる。この種の変化する量は0を極限としてもつ[Cauchy 1821, p.19]。

この定義もまた、斬新なものであった。コーシー以前の数学者たちが、無限小を変化する量として扱っていないのに対し、コーシーは無限小を変化するものとして定義しているからである。
(p.29)

つまりコーシーは「動的で曖昧な説明」を排除するどころか導入している。その一方で

しかし、『解析学教程』を少し読み進めると、コーシーが今日と同様のε-δ論法を使って重要な定理を証明していることがわかる。
[中略]
この証明の、"εを望むだけ小さい数とすると、x≧hで…というhが存在する"という記述の中に、ε-δ論法を見出すことができる。
(pp.33-35)

と書かれるのように、コーシーは不等式を使ったε-δ論法を導入した人物でもある。
コーシー以前たとえばラグランジュが「無限小」や「極限」を曖昧なものとして数学の記述から排除しようとしたのに対して、コーシーは動的な表現が不等式評価と結びつくことを洞察して積極的に数学の記述に取り込んだ。不等式評価と結びついていることが把握されてさえいれば、動的表現自体を排除する必要はない。したがってコーシーの記述には動的な表現も不等式を使った静的表現もどちらも登場することになる。これは「動的表現は曖昧、厳密でない、ε-δ以前」という現代的?な見方とはあまり調和しない。
そのため、不等式による評価の導入を重視すればコーシーがε-δの始まりに置かれるし、動的表現の排除を重視すればワイエルシュトラスがε-δの始まりに置かれるという二重の歴史評価にいたったのではないかと思った。

ε-δ論法とその形成

ε-δ論法とその形成