ここでの議論の流れは歴史的な経緯や実際に登場した順番とは全く関係ない。
ダーモン・グランヴィルの定理を前振りにしたABC予想の説明。
目次
- ピタゴラス方程式とフェルマー方程式の解の個数
- ダーモン・グランヴィルの定理
- ダーモン・グランヴィルの定理の言い換え
- ABC予想(曖昧版)
- 根基(radical)
- 根基とベキ指数、暫定的な予想1
- log(rad(abc))/log(c)に関わる性質
- 質(quality)、暫定的な予想2
- ABC予想
- 追記: ABC予想に言及のある文献
ピタゴラス方程式とフェルマー方程式の解の個数
ABC予想が扱うのはという式だけど、それに似たという式の整数解の個数の問題を考えてみる。よく知られているようにこの形の式の解の個数は次のようになっている。
方程式 | 解の個数 |
---|---|
無数に存在する | |
無し |
またワイルズの証明(1995年)以前にも、モーデル予想(1983年にファルティングスが証明した)によって4以上のmそれぞれについての解は有限個しか存在しないことが判っていた(モーデル予想は「種数2以上の代数曲線は有理点を有限個しか持たない」というもので、これも方程式の解(この場合は有理数解)の個数についての定理といえる)。さらにそれよりも一般的な次の定理が(abc予想が出されたよりも後に)証明されている。
ダーモン・グランヴィルの定理
ダーモン・グランヴィルの定理(Darmon、Granville 1995年)
方程式について、
ならば、この方程式の整数解で(X,Y,Z)のどの2つも互いに素であるものは有限個である。
この定理で「互いに素」の条件が必要なのは、この条件を外すと一つの解から無数の解が作れてしまうため。例えばが解ならも解になる。
なおの場合は、解の数が有限個になる方程式も無限個になる方程式もどちらもある。
この定理は非常におおざっぱに解釈すると、ベキ指数j、k、lがある程度以上大きい領域では、の解が非常に少なくなっていることを表している。
この定理が成つことは、直感的には次のように説明できる。
ダーモン・グランヴィルの定理が成り立つことの(インチキな)説明1
ベキ指数j,k,lが大きくなればなるほど数列
の分布はまばらになっていく。
の分布がまばらになるほど、それらがを満たすことは困難になり、j、k、lの大きさがある限界を越えると有限個の解しか不可能になってしまう。
さらにもう少し細かく説明すると次のようになる(インチキ説明なので飛ばしても問題ない)。
ダーモン・グランヴィルの定理が成り立つことの(インチキな)説明2
まず任意にLを取り、[0,L]の範囲からとを選ぶ。
の形の数は0からLまでの範囲におよそ個ぐらい存在する(おおざっぱな見積りをするので定数倍は無視する)。
の形の数は0からLまでの範囲におよそ個ぐらい存在する。
したがって[0,L]×[0,L]の範囲での組の選び方は約だけある。
選んだものを足したは、おおざっぱには[0,L]の範囲に分布する(ここでも定数倍の違いは無視している)。
その[0,L]の範囲のうちの形で書けるものはおそよ個ある。したがって[0,L]の範囲にある数の中での形になるものの割合は約。
の作り方がおよそ個あって、そのうちの割合での形になるので、[0,L]×[0,L]の範囲にを満たす(X,Y)がおよそ(の定数倍)ぐらいありそうだと推測ができる。
ところがのときは、Lを大きくすればするほど推測した解の個数が0に近づいていく。もちろん現実には範囲[0,L]を大きくしたときに解の個数が減少することはありえないけれど、おおざっぱな見積りなのでそうなる。Lを増加させても解の個数の予測値は無限に増加するどころか減ってしまうので、解の実際の個数が無限に増えることはないだろう。
ダーモン・グランヴィルの定理の言い換え
ダーモン・グランヴィルの定理で主張されているのは、となる(j,k,l)および任意の(A,B,C)のそれぞれについての(互いに素な)解(X,Y,Z)が有限個しかないということだった。
とすると、次のように言っても良さそうに思われる。
- (xX,yY,zZ)のどの2つも互いに素
- ベキ指数j,k,lが大きい(となる)
を満たすものはあまり多くない(?)
これは「あまり多くない」の意味がはっきりしていないので、ちゃんとした数学的主張にはなっていない。それでもこれは定性的には何となく正しい主張になっている感じがする(ただし条件がこれだけだと簡単に見つけられる解がたくさんある。例えばZ=1とすればzの調節で解を作ることができる。またy=Y=1という形の解も容易に得られる)。
ABC予想(曖昧版)
前節の主張と比較すると、ABC予想はおおよそ次のような主張だと言える。
ABC予想(曖昧版)
- (a,b,c)は互いに素である
- (a,b,c)は、ベキ指数の大きな素因数を多く含んでいる
を満たす(a,b,c)はあまり多くない。
(「素因数のベキ指数」というのはにおけるのこと)
前節の主張と比べてみる。
a、b、cが大きいベキ指数の素因数を持っているとする。このとき大きなj、k、lを使ってと書けて
- (AD,BE,CF)のどの2つも互いに素
- ベキ指数j,k,lが大きい(となるくらいに)
を満たすだろう。この形を満たすものは少ないというのが前節の主張だったので、曖昧版ABC予想も定性的には正しそうな主張になっている。
もちろんここでも「大きなベキ指数」「多く含む」「あまり多くない」といった曖昧な言い回しを使っているので、このままではこの予想が正しいとも間違っているとも言いようがない。
なので曖昧な予想を定量的な予想に改良していく。
根基(radical)
「ベキ指数の大きな素因数を多く含んでいる」というのを定量的に評価するために、ここで根基という概念を定義する。
整数nの根基rad(n)とは、nの異なる素因数をそれぞれちょうど1回ずつ掛け合わせたものである。つまりnが
と素因数分解されるなら、
となる。
nがベキ指数の大きな(つまりの大きな)素因数を多く含んでいればとなる。
(根基という概念を使うのは整数と多項式の類比、特に多項式におけるメーソン・ストーサーズの定理との類比からだけどそこには深入りしない。「整数と多項式は互いによく似ているので類比させてみる」という考え方については色々な本で説明されていると思う。例えば『現代数学の流れ2』第2章「リーマン予想と20世紀の代数幾何学」や『数論I』)
根基とベキ指数、暫定的な予想1
根基と素因数の指数の関係を知りたいので
を調べる。もちろんは整数とは限らない。
必ずで、aが重複する素因数を持っていない場合はとなる。
とすると
となる。次のどちらかが成り立っている。
- である。
- のうちいくつかがよりも大きい。
どちらの場合でも、となるjを使ってと書くことができる。
同じことをbとcについても考えれば、次のことが言える。
となる(j,k,l)を取ってと書ける。
したがってもしも、a+b=cとなる(a,b,c)で互いに素なものがだったとすると、
- (AD,BE,CF)のどの2つも互いに素
を満たすものが見つけられることになる。しかしこれを満たすものはあまりないはずと考えたのだった。
だから、曖昧版ABC予想を少し書き換えて次のような予想を立てられる。
暫定的な予想1
- (a,b,c)は互いに素である
を満たす(a,b,c)はあまり多くないだろう。
しかし実際のABC予想で使われるのはこの式ではない。
の代わりにを使う。
に関わる性質
(a,b,c)が互いに素のときはなので、
が成り立つ。ということは
だとしても
になるとは限らないということになる。
cが大きくなっていくにつれて大部分の(a,b,c)(aがあまり小さくないもの)については
となるはずだけど、aが小さい解がたくさんあるかもしれない。
実際にABC@homeに公開されているを満たす(a,b,c)のデータのうち1000000個までを調べてみると次のようになっていた。
100000個目まで | 1000000個目まで | |
---|---|---|
となるもの |
74341個(74%) | 764636個(76%) |
a=0となるもの(分母が0になる) | 2140個(2%) | 8868個(0.9%) |
これは条件をかなりゆるめているようにも、単なる定数倍の違いでしかないようにもどちらにも見える。
しかし(ABC予想にたどり着くのが目的なので)こちらの条件式を使っていくことにする。
またを使うのは、メーソン・ストーサーズの定理との類比という理由がある。
メーソン・ストーサーズの定理(を変形したもの)
実係数(または複素係数)の多項式a(t)、b(t)、c(t)のうち少なくともひとつは定数でないとする。
- (a(t),b(t),c(t))は互いに素である。
のとき、次の式が成り立つ。
(deg(f)は多項式f(t)の次数)
質(quality)、暫定的な予想2
の逆数には「質」(quality)という名前がついている。
このを使うと
という条件は
と等しい。このを使って次のように予想を立てる。
暫定的な予想2
- (a,b,c)は互いに素である
を満たす(a,b,c)はあまり多くないだろう。
で(a,b,c)が互いに素になるもののの値をの範囲で計算してみると次のグラフのようになる。
このグラフからは全く判別できないけどの範囲でとなるものの割合は0.05%未満。の範囲でとなるものの割合は0.005%未満。
の範囲でで互いに素になる(a,b,c)の組は1500万ぐらいあって、そのなかでが1を越えるものは120組ある。の範囲では互いに素になるの組は15億弱で、が1を越えるものは298組ある(cの増加に対して、候補になる組の数は2乗で増加する)。
ABC予想
「暫定的な予想2」には「あまり多くない」という真偽の問いようのない言い回しが残っているのでそこを変更していく。
まず予想の「あまり多くない」を「有限個」に変えれば真偽の問える形になる。
- (a,b,c)は互いに素である
を満たす(a,b,c)は有限個である(?)
残念ながらこれは間違っている。これを満たすような(a,b,c)の系列を作ることができるので、有限個しかないということはありえない。
しかしを満たす(a,b,c)は、cが大きくなるにつれて1に近いものの割合がだんだん多くなっていく傾向がある(http://rekenmeemetabc.nl/Synthese_resultaten)。
とするとを満たす(a,b,c)の個数自体は無限だとしても、の値はcが大きくなるにつれてどんどん1に漸近していくのではないだろうか。つまりcがある程度以上大きくなると常にとなり、さらにcが大きくなるととなり、さらに大きくなるとというように、cが大きくなるにつれての上限がどんどん下がっていくのではないか。
この予測が正しいとすると、を満たす(a,b,c)やを満たす(a,b,c)やを満たす(a,b,c)はどれも有限個しかないことになる。
こうしてようやくABC予想に到達する。
ABC予想
0より大きいを任意にとる。このとき
- (a,b,c)は互いに素である
を満たす(a,b,c)は有限個である。
だったので、対数を消した形で表現すると次のようになる。
ABC予想(式の形を変えたもの)
0より大きいを任意にとる。このとき
- (a,b,c)は互いに素である
を満たす(a,b,c)は有限個である。
またABC予想が正しいとするとには最大値がありそれより大きいは存在しないことになる。現在見つかっているの最大値は1.6299。
は2を越えないだろうという派生的な予想があるけれど、この派生的な予想はABC予想と比較して強くも弱くもない。
のどちらも成り立ちうる。
ABC予想に到達したのでここまで。
追記: ABC予想に言及のある文献
- S.ラング「abc予想」(『ラング 数学を語る』 元版)
- G.ファルティングス「ディオファントス方程式」(『数学の最先端 21世紀への挑戦1』 元版)
- A.ベイカー、G.ヴュストルツ「数論、超越数論とディオファントス幾何学」(『数学の最先端 21世紀への挑戦5』 元版)
まず、当初は大層かけ離れた別々のものに思われたヒルベルトの3つの問題が、融合して数論と幾何学の間の相互作用を引き起こす触媒となったことに目を向けよう。
第12問題。これは有名な「クロネッカーの青春の夢(Jugendtraum)」に緒を発し、数学の近代化の指針としてモジュラー多様体の領域の将来に新しい道を開いた問題である。ホッジ理論、数論的群、代数群と結びつき、志村多様体の有理点に関する深い考察に密接に関連していることも述べることにする。第12問題から第7問題を経て対数1次形式の理論とその可換代数群上の一般化が導かれるが、これはディオファントス方程式のエフェクティブな解を求める問題において最も決定的な道具となる。それは数学の深い古典的問題の1つである第10問題の解答も与える。
以上3問はシンプルかつ深い予想といわれるabc-予想と合わせて考究するとその関連性がとりわけ明白となる。
(A.ベイカー、G.ヴュストルツ「数論、超越数論とディオファントス幾何学」)