ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』についてのメモ: レムニスケートのこと

レムニスケートなんて一般的に知られているような単語ではないけれど、ナボコフの『青白い炎』に登場する。ただ翻訳では「レムニスケート」とは出てこない上にその部分の意味がわからなくなっているので、そのことのメモ。
まずシェイドの詩の139行目あたり。

濡れた砂の上にさりげなく巧みに
自転車のタイヤが
残した驚くべき八の字形の跡を除いては。
(ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』ちくま文庫 50頁)

この部分に対するキンボートの注釈が次。

一三九行 八の字形
「一筆書きできる二環式四次方程式」とわたしのくたびれた古い字引に書いてある。わたしにはこれがどうして自転車と関係があるのか理解できないし、シェイドの言い回しには本当の意味など何もないのではないかとつい思ってしまう。
(ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』ちくま文庫 264頁)

この部分を読んでも、何が言いたいのかよくわからない。「八の字形」というは自転車の残した跡の形なのだから、なぜキンボートが理解できないと言っているのかが理解できない。むしろ唐突に「一筆書きできる二環式四次方程式」と出てくることの方が理解できない。
でも併記されている詩の原文の方を見ると、どういうことなのかわかってくる。

save perhaps
The miracle of a lemniscate left
Upon wet sand by nonchalantly deft
Bicycle tires.
(ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』ちくま文庫 51頁)

「八の字形」と訳されていた部分はlemniscate「レムニスケート」だとわかる(ところで「跡」は「奇跡」の間違いなのか、それとも軌跡と奇跡をかけたのか)。
つまり文中に「レムニスケート」と書いてあってその意味がわからなかったキンボートは辞書を引いたのだけど、「一筆書きできる二環式四次方程式」(原文では「a unicursal bicircular quartic」)と出ていてやっぱり意味がわからなかったということ。なのだけど、翻訳では「八の字形」という意味のわかる言葉にしてしまったので、翻訳を読んでいる読者には逆に意味がわからなくなったという話。