大学院を退学したのでメモ

すでにいろいろ記憶が曖昧になってきているのでメモしておく。
なによりもまず、院で哲学をやれて本当によかったと思う。
あまり思い出せないし思い出したくないけど、工学部では周りに馴染むこともできずおおむね絶望感に支配されていた気がする。数学とか理論系の話はそこそこできていたから成績の上では悪くなかった気がするけど、機械やコンピュータのスキルがまるでなかったから実際には工学部生としては落ちこぼれだった。SchemeとかHaskellについて話せる人が周りにいないなとか考えていたけど、今振り返ると単に挫折感で壁を作って周りと話をしなかっただけだ。
留年して退学してまた(学科を変えて)入学して留年してと同じような展開に陥る辺り、展望も長期的視野もなく逃避と短絡的決断で行動していたとしか思えない。
しかし紆余曲折の末、大学院で哲学をやれることになる。大学院の推薦を2回(いずれも留年で)ダメにして大学院入試に合格したけど行かないという前振りがあった上で今の研究室に入ったから、ずいぶん回り道をしている。まともな人間なら取らなくてもいい回り道だけど、自分の消極性と行動力の無さを考えると僥倖だったと思う(そうでも思わないとやってられないのかもしれない)。たとえ高校ぐらいから何度やり直したとしても、現在の経路以外で哲学に進むような展開が全く見えない。ポジティブに考えれば、人生を思いっきり投げ捨てた結果ようやくこの道筋に来れたのかもしれない。
そもそも情報科学研究科に所属する研究室だったおかげでその存在を知ることができたわけで、そうでなければ選択肢に入ってくることもなかったはず。これもある種の幸運だろう。哲学の研究室が情報科学研究科にあるのは、教養部が解体して情報文化学部ができたこと(1993〜94年頃?)に由来する。なので研究室の位置付け的には工学部情報工学の系統ではなく情報文化学部の系統なのだけど、情報文化学部から進学してくる人もあまりいない。そのためもあってか他大学から来た/来る人がかなり多くて、たいていの人(教員・助手含む)が学内者だった工学部の研究室とは対照的だった。
それだけにとどまらず工学から哲学に移ってみて状況が全く変わった気がした。素晴らしい新世界、こんな人たちがいるなんて、とか思ったようなそうでもないような。
しかし周りが変わっても本人が変わらなければ結局は同じなのだろう。クズがみるみるそれなりになる、なんてことはない。結局は学校と関係ないところで心折れて、研究の方も迷走するばかり。研究の何をどうしていいのかすら判らなくなり、研究期間延長の判断もギリギリまで伸ばしたけど結局は退学にした。身の振り方も展望も何もなく就職のあても就職可能な場所をどうやって探すのかも判らないままだけど(そもそも何かまともにやれることがあるのか)。前から何となくそうなるんじゃないかと思っていたけど、状況的には研究室に入る前の状態に戻ったとも言える。
あとは研究室の学生がいっきに減るのが気がかり。研究室に所属していない関係者は他学部他大学の人も含めて結構いるはずだけど、研究室に正規に在籍している学生が少ないというのはやはり心配。人の心配をしている場合ではないかもしれないけど。