素数に関するいくつかのこと

1と素数

もちろん1は素数ではない。でも1が素数でないということは、素数の定義から自然に導かれるという感じでもない。1が素数では都合が悪いから、それに合わせて素数の定義の方を決めたように見える。
例えば次のセリフ。

2…3 5…7…落ち着くんだ…『素数』を数えて落ち着くんだ…11…13…17……19 『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……わたしに勇気を与えてくれる
(荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 Part 6 ストーンオーシャン』6巻)

このセリフの説明だと1も素数になってしまう。かといって正しい素数の定義を言おうとすると、たぶんセリフが冗長になってしまう。
どうやら1を素数だと思った方がいいという考え方もあるみたい。主流派になることはないと思うけど。

確かに、素因数分解の一意性のことを考えずに定義の単純性だけ見れば、1も素数に含むように定義するのが自然に見えるかもしれない。
Wikipedia > Prime number > > Primality of oneには、19世紀になるまでは多くの数学者は1を素数とみなしていたとある。つまり1を素数から排除する部分がかつての素数の定義にはなかったわけだ。素因数分解の一意性は昔から知られていたけどそれを始めて証明したのはガウスということだから、そのあたりから1を素数に含めない方が「自然」になっていったのか。

……と思ったのだけど、19世紀以前は1を素数に含めていたと単純に考えるわけにもいかないみたいだった。
オイラーについて調べてみると、『代数学完全入門』(1770)(『Vollstandige Anleitung zur Algebra』英題『Elements of Algebra』)の1.4節第39段落

複数の因数で表現できない2、3、5、7、11、13、17…のような数は素数と呼ばれ、一方、表現できる4,6,8,9,10,12,14,15,16,18…のような数は合成数と呼ばれる。

とあり、ここでは1を素数に含めていない。
ついでにさらにさかのぼって、ユークリッド(エウクレイデス)の『原論』を見てみる。数論を扱っているのは第7章(邦訳は参照できなかったので英訳を参照した)。

  • Definition 1 A unit is that by virtue of which each of the things that exist is called one.
    定義1 単位とは、それを用いることで、存在するものそれぞれが、ひとつと呼ばれるものである。
  • Definition 2 A number is a multitude composed of units.
    定義2 数とは、単位から構成される多である。
  • Definition 3 A number is a part of a number, the less of the greater, when it measures the greater;
    定義3 小さい数が大きい数の約数であるのは、小さい方の数が大きい方の数を測るときである。
  • Definition 11 A prime number is that which is measured by a unit alone.
    定義11 素数とは、単位のみによって測られる数である。
Euclid's Elements, Book VII

『原論』では「aはbを割り切る」ことを「aはbを測る」と表現するみたい。a刻みで目盛を付けていったときにbのところに目盛が付く、といったようなイメージか。
で一見すると素数の定義が何か変に見える。 「単位のみによって測られる」じゃなくて「単位と自分自身のみによって測られる」にしないといけないのでは。でもどうやら、自分自身に対しては「測る」とは言わないみたい。その点で、『原論』における「測る」と、現代の「割り切る」は異なる。定義3でも、「測る」という言葉を異なる数に対してだけ使っている。
そうすると、1は単位(=1)で測れないから素数ではないことになる。というかそれ以前に定義2によると、1はそもそも数ではない。いずれにしても『原論』では1は素数ではない。
(ひょっとすると1を他の数とは別扱いするのはヨーロッパ辺りでは普通なのだろうか。例えば翻訳小説なんかに「2足す2が4になるぐらいに当然だ」みたいな言い回しが出てくるけど、あれは1を他の数とは区別しているから「1足す1が2になるぐらいに当然だ」と言わないってことなのか。もしそうだとすると、その理由は言語に単数と複数の区別があるからなのだろうか)

素因数分解の一意性を証明すること

素因数分解の一意性を始めて証明したのはガウスだといわれる。でもこれは素因数分解の一意性の証明が難しいということではない。素因数分解の一意性の証明でポイントになるのは、「素数pがabを割り切るなら、pはaを割り切るかbを割り切る」という命題で、これはユークリッドの互除法を知っていれば証明できる(『原論』7巻命題30)。
つまり、ガウスは難しいことを証明したからすごいのではなく、それを証明すべきことだと考えたところがすごいのだろう。いったん証明されれば、それが証明すべきことなのは当たり前に見えるとしても。
って何か永井均がそういうことを言ってそう。なのでちょっと探してみたけど、次がそうかもしれない。他にもありそうだけど。

プラトンが哲学的に破格に偉大なのは、これを解答を要求する問いだとみなしたことにあるんだ。これはたいへんな哲学的洞察というべきだ。ただそのことだけで、彼は比較を絶して偉大な哲学者なんだ。どう解答したかなんってことは、哲学にとっては二次的な重要性しか持たない。
(永井均『倫理とは何か』産業図書 p.40)

prime numberという言葉の由来

英語で素数に当たる言葉 prime numberは、ギリシャ語のπρωτοσ αριθμοσ(protos arithmos)を翻訳したもの(http://primes.utm.edu/notes/faq/WhyCalledPrimes.html)。
πρωτοσは「最初の」という意味で、ラテン語でいえば「primus」、英語なら「first」「primary」「prime」。αριθμοσは「数」。「最初の」というのは、存在の位階で最初にくるということらしい。
「prime number」を「第一種の数」と読み替えてみて、「第一類の集合」が思い浮かんだ。「第一類」って、定義が唐突で何でそんな定義をして分類しようとするのか全くピンとこない概念だという印象しかないけど。あとは次の文。

この馬鹿馬鹿しい述語は、かの著名な数学者ベールがいかに文学的センスを持たなかったかを示している。
(森毅『位相のこころ』ちくま学芸文庫 p.248)

しかし「第一類」を「やせた」に言い換えても、ピンとこないことには変わりがなかった。