田崎晴明『熱力学』の温度の定義について
田崎晴明『熱力学』での温度の扱い方と説明は、一見した判りやすさに反して、実際には微妙に判りにくいように思う。
温度の説明
2-4節 p.30に、次のように書かれている。
二つの環境があったとき、たとえそれらの「素性」が異なっていても両者の「温度」が等しければ、その中に置かれた熱力学的な系の平衡状態は等しい。
各々の環境を特徴づける温度(temperature)Tという実数の量がある。環境に置いた熱力学的な系の平衡状態を左右するのは、環境の温度だけである。
こうして導入した温度とは、いってみれば、その中に置いた熱力学的な系の平衡状態に関して同じように機能する環境を総称してつけた「名前』である。
数学的な比喩を使えば、考えうるすべての環境を、その中に置いた熱力学的な系がどのような平衡状態に達するかに応じて、同値類に分類し、各々の同値類に実数を割り振ったということになる。
温度についてのこの説明は、熱力学で普通になされるものと違わない。
それでどこが判りにくいのかというと、理想気体を使って温度目盛を定義しているところ。
理想気体による温度目盛り
これについて、本文中に
理想気体は[...]便利な理論的な「おもちゃ」とみなすべきだろう。そういう意味で、熱力学の体系を構築していく際に理想気体の存在を仮定して利用するのは好ましくないという考え方がある。
(3-7節 p.53)
と書かれているけれど、別に理想気体を使うこと自体に問題があるわけではない。理想気体を持ち出して説明したことによって、何が前提で何が導かれたことなのかが判りにくくなっている、と感じる。
2-4節では、温度目盛りの選び方を皮相的に与えたが、より物理現象に即した言い方をすれば、(3.34)[ ]が成り立つように選んだのがわれわれの温度だったといえる。このように温度を選ぶことを、理想気体温度を用いると表現することがある。
すべてのT,V,Nについて、圧力が正確に(3.35)で与えられるような仮想的な気体を考えることがある。それが、1-1節でも扱った理想気体である。
(3-7節 p.52〜53)
このように説明されたとき当然「その温度目盛りTはどうやって決めたものなのか」という疑問が浮かぶ。
(3.35)式に正確に従う気体を「理想気体」と定義するなら、その式に使われるTはそれ以前に定義されていないといけない。
たとえば、なぜだか身の回りにあるさまざまな気体のどれについても、体積と絶対温度の関係が比例関係から同じようにズレていたとしたら、その世界の住人は、そうした気体の体積に比例して温度目盛りを定めるかもしれない。この目盛りについてが成り立つ気体があっても、それは本当の理想気体ではない。
「ストイックな立場」との比較
これに対して伝統的なやり方(田崎『熱力学』での表現を使うと「ストイックな立場」)では次のように答える。
- 温度目盛りを(理想気体と無関係に)取る。この温度目盛りは、日常使っている温度目盛りと比べて非常にいびつな温度目盛り(例えば、氷点0度、体温90度、沸点100度になる目盛り)でもかまわない。
- 可逆機関が定義される。(可逆機関が存在するかどうかはまだ分からない。) 熱力学第2法則から、可逆機関が最も効率の高い熱機関であること、その効率が温度の単調増加関数によっての形になること、が証明される。
- カルノーサイクルが可逆機関であることが(理想気体と無関係に)証明される。(熱浴と等温で接触した状態での等温膨張圧縮過程、断熱状態での膨張圧縮過程を可逆に実施できることを認めれば。)
- カルノーサイクルを使って効率を測定すれば、可逆機関の効率を決める関数を決定できる。(定数倍の不定さがあるので、適当な温度でのを適当な値に決める。)
- によって絶対温度を定義する。カルノーサイクルの効率は、となり、カルノーサイクルの効率を計ることで熱浴の温度は測定でき、熱浴との温度比較からその他の物体の温度も原理的には分かる。
そして、このようにして定義された絶対温度について を満たすものが理想気体と定義され、実在の気体もこのについてが近似的に成り立っている(その理由は熱力学の範囲では説明されないけれど)ので、気体の体積増加を使って決めた経験的温度と熱力学的絶対温度はおおむね一致する、と説明される。(追記: cf. 朝永振一郎『物理学とは何だろうか<上>』第II章 3 火の動力についての省察、4 熱の科学の確立。)
一方、田崎『熱力学』では
- 温度目盛りが先に導入される。
- 「通常の温度目盛りではかることにしよう」(2-4節 p.30-31)
- 「(3.34)[ ]が成り立つように選んだのがわれわれの温度だったといえる」(3-7節 p.52)
- この温度目盛りで(3.35)[ ]が成り立つ気体を理想気体とする (3-7節 p52-53)。
- 理想気体を用いてカルノーサイクルの効率が計算され(5-2節 p.77)、カルノーサイクルの効率がだと示される(5-5節 p.83)。
となっている。
でもこれだけ見ると、両者のやり方でなぜ温度目盛りが一致したのかが不可解に見える。
- 本の1. 2.の時点では「我々の周りの気体はどれも実は本当の理想気体からかけ離れていて、それを使って定めた「通常の温度目盛り」は絶対温度とは全く違う目盛りで、 身の周りにある気体はこの温度目盛りでが成り立つニセ理想気体だった」という可能性が排除されていないように思える。
- しかし3.に至ると、導入した温度目盛りのもとで、カルノーサイクルの効率が と計算されている。(つまり導入した温度目盛りは絶対温度と等しいものだった。)
どんな前提によって絶対温度の目盛りが得られているのか、読んでいてよく分からない。
本文では次のように述べられている。
Carnot関数がちょうどT'/Tになったのは、われわれがたまたま熱力学の普遍的な性質に照らしてもっとも自然な温度目盛りを使っていたことを意味するにすぎない。このような温度目盛りを用いることを、絶対温度を採用すると表現することがある。
(5-3節 p.76 強調原文)
また伝統的なやり方にも言及している。
Carnotの定理を得るまでは、任意性の高い経験温度を用い、Carnot関数に基づいて普遍的な絶対温度を再定義するというのが、理論的には、よりストイックな立場である。(多くの熱力学に、そのような議論が見られる。)ただし、われわれのように、はじめから「正しい」温度を用いることが、論理的に劣っているわけではない。
(5-3節 p.76脚注)
はじめから望ましい温度目盛りを採用したからといって、論理的にごまかしが入るわけではない。
(2-4節 p.39脚注)
しかし読者の視点からすると、3-7節の時点では、上で述べたように、その温度が実は「正しい温度」(絶対温度)ではなく、に従う気体が実は「正しい」理想気体ではない、という可能性が残されているように感じつつ読み進めないといけない。
そして異なる温度目盛りの可能性がなぜ排除できるのか読んでいてもよく分からないと感じる。
理想気体の内部エネルギーについての仮定
理想気体を使ったカルノーサイクルの効率を計算するためには、理想気体の状態方程式だけでなく、理想気体の熱容量(比熱)が定数になるという性質を使う。
田崎『熱力学』では次のように書かれている。
測定の結果、かなり広い温度と圧力の範囲で熱容量は温度によらず一定で、定数を用いて
(4.30)と表されていることがわかる。
[中略]
そこで理想気体では、(4.30)を理想化した(4.32)がある定数について正確に成り立つと要請しよう。
[中略]
これを積分して(4.33)という理想気体のエネルギーの表式が得られる。
[中略]
圧力についての(3.35)とエネルギーについての(4.33)を合わせると、理想気体の熱力学的な性質が完全に決定される。
(4-4節 p.67-68)
この性質(4.33)を使うことで、カルノーサイクルの効率がと計算されるので、確かにカルノーサイクルの効率から定義される絶対温度と同じものになっている。
しかし絶対温度と同じ温度目盛りが得られるポイントとなる部分がどこにあるのか読み取れない。
(追記: 絶対温度とは異なる温度目盛りθについて、
- 状態方程式:
- エネルギー:
となる「ニセ理想気体」があったとする。このニセ理想気体を使ってカルノーサイクルの効率を計算すると、(本当の理想気体に対する計算と同様の計算式により)、
という効率が得られる。θは絶対温度目盛りTとは異なるので、 である。
しかしこの結果は「カルノーサイクル(可逆サイクル)の効率は使用する媒体によらず必ず となる」に反する。
つまり「ニセ理想気体」を使うと熱力学第2法則に反した結果が得られる。
したがって、導入した「理想気体」が第2法則に反しない物質であるためには、使っている温度目盛りが「絶対温度」でないといけない、ということになる(はず)。
しかし「理想気体が熱力学第2法則に反しない」というのは、証明無しに自明の前提として認めていいのだろうか? 理想気体は熱力学第3法則には反している。理想気体は熱力学第2法則と矛盾しないというのは、熱力学理論の前提なのか、証明されるべき性質なのか。)